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居合

Iaido

居合はを抜き放つ際の、初撃を極めた剣術と考えられています。

しかしながら、成立当初の居合は必ずしも剣術のみを指す技術ではなく、柔術のような技なども含まれていたようです。

現代の居合道では、主に座位での抜刀術を中心とした、形や方法論が追求されています。しかし居合の始まりにおいては、「いかなる状況下においても、不意の襲撃に対して敵を制する方法」を目指した武術がルーツとなっているのです。

​全日本剣道連盟居合

zenkenren iai

全日本剣道連盟居合(ぜんにほんけんどうれんめいいあい)は、1969年昭和44年)に全日本剣道連盟(全剣連)が制定した居合道剣道人のための居合道入門用の形として、居合道各流派の基本的な業や動作を総合して制定された。全剣連居合、制定居合とも呼ばれる。対して各流派の形は古流と呼ばれる。

田宮流

Tamiya School

田宮流(たみやりゅう)は、居合の始祖と言われる林崎甚助重信(林崎甚助)の五大高弟の一人、田宮重正が開いた居合と剣術流派。

田宮重正は奥州出身の林崎甚助に従い、居合の奥義を会得したといわれている。当時の柄の平均的な長さよりも三程長い長柄のを考案、推奨した。

重正の息子である田宮長勝は、紀州藩初代藩主徳川頼宣に仕え、田宮流と称して千人以上の弟子に広めた。長勝の後は、平兵衛長家(長勝の嫡男) - 三之助朝成 - 次郎右衛門成道と続き、紀州藩での田宮流は、直系の五代目までを「古田宮流」、養子相続の六代目以降を「紀州田宮流」とも呼ぶ。

三代目長家は慶安5年(1651年)3月、紀州藩士で柳生宗矩の門人・木村助九郎とともに召されて将軍・徳川家光に上覧、田宮流の名を広めた。 長家の弟子の斉木三右衛門が江戸において田宮流を広めたため、それぞれの地域で独自の発展をしたものも多く、江戸時代中期以降、竹刀防具を用いた打ち込み稽古を採用する系統もいくつか現れた。 徳川頼宣の次男・松平頼純が、紀州藩の分家である伊予西条藩に移った際、田宮対馬守長勝常円の弟子・江田儀左衛門によって、田宮流が伊予西条藩に伝えられている。

居合教室
​  水鏡館

iai school syuikyoukan

居合教室 水鏡館は和歌山市で活動している居合道場です。

・全日本剣道連盟居合(制定居合)12本

・田宮流25本

を中心に稽古し、大会や昇段・昇級審査に向けて稽古している。

水鏡館では「居合を楽しむ」を基本方針とし、学生から年配の方まで居合をする事で日々の生活に"楽しみ"や普段経験できない"緊張感"を体験してメンバーの生活のプラスになれる様に日々稽古しています

また居合を通しての地域貢献も行い、"居合道・日本刀・日本の文化・和歌山の歴史"を皆さんに知って頂ける様に日々活動しています。

日本刀

Japanese sword

日本刀は、日本特有の鍛刀方法で作られた刀剣類の総称です。その大きな特長は、刀身に反りがあること、そして片側だけに刃が付けられていることにあります。平安時代末期頃に出現したこのような形式を持つ刀が、「日本刀」と呼ばれているのです。

日本刀は刀身の寸法によって、①「太刀」(たち)、②「打刀」(うちがたな)、③「脇差」(わきざし:同音で「脇指」とも表記する)、④「短刀」(たんとう)の4つに分類されるのが基本。

さらに広義では、「薙刀」(なぎなた)や「槍」(やり)、「長巻」(ながまき)なども日本刀に含まれます。

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